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Y高まとめやつ

ご自由にお使い下さい

Y冠ナイン

Y高最初で最後の甲子園優勝を成し遂げた栄光のメンバーたちをここに記す。

 

 オーダー  (公式戦通算記録)打率 本塁打 打点

(遊)YR岡   .446 3本 6点

(中)あーりん       .302 1本 8点

(左)いも              .334 5本 13点

(一)やえし          .247 7本 9点

(三)524          .292 2本 10点

(右)時雨              .267 4本 7点

(二)ks              .287 0本 5点

(捕)ぽて              .255 5本 10点

(投)ゆきビッシュ       .188 0本 4点

                          54回     0.67 54奪三振  

 

監督 Y.hide

マネージャー 沼ねえ

 

<選手紹介>

YR岡 遊撃手 右投げ右打ち 

Y高不動のショートでキャプテン。入部当初は投手だったがある事情でショートに回った。走攻守ともにレベルが高い。3度目の夏の甲子園大会では大会首位打者を獲得するなど大舞台でも強い。高校卒業後は日ハムに1位指名されるも『僕のやりたいことは北海道ではできない』と指名拒否して、千葉大学に一般受験で入学。大学時代も安定して成績を残し、4年後には千葉〇ッテ〇ーンズにドラフト1位で入団した。プロ入り後は当時あまりスター性のなかった〇ーンズで瞬く間に人気選手となり、後に球界を代表する選手となった。プロ引退後は多数のコーチや監督の依頼が来るが、すべて断り、YRホールディングスを立ち上げ、これまた日本の経済の中心に君臨する。世界の所有資産ランキングで孫さんを抜き日本人で一位を誇る。時雨くんはどうでもいいがみていて面白いのでほったらかしている。

 

あーりん 中堅手 右投げ右打ち

堅実に仕事をこなす職人。バントが非常にうまく甲子園では成功率は100%を誇る。強肩で守備もうまく、打撃もなかなかなもの。練習に熱心でみんなの憧れだったが、実際は甲子園でチアに応援してもらうためだった。卒業後は◯ショクで社会人野球を続け、のちに横浜◯スターズに入団し、筒香、梶谷とともに最強の外野陣として恐れられた。最高年俸は5億で契約書にサインする際に放った5億マジかwは某インターネット掲示板で広まり、流行語大賞を受賞した。引退後はコーチを経験したあと、監督になり、試合に負けた日のコメントで開口一番口にする「ええいくそ!」がまたもや人気になり再び流行語大賞を受賞した。独身。ムッツリ。時雨くんのことは岩だと思っている。

 

いもかわ 左翼手 右投げ右打ち 

Y高が誇る屈指のスラッガー。Y.Hide監督に打撃の天才と称され、大会でも最多打点を挙げた。打撃ばかりに目が行きがちだが、足も速く相手が最も警戒する選手の一人。ただ不慮の事故で膝が悪く、爆弾を抱えているため守備面には若干不安があるが、ショートYR岡の異常な守備範囲に助けられ難を逃れていた。チーム内では影のリーダーとして恐れられていたものの、エースいでゆきのよき理解者でもあった。卒業後は自信も大のファンである阪神〇イガースに入団することを夢見ていたが、ドラフト競合の末、◯ークスに入団した。インタビューで飛び出る大胆な発言がメディアに取り上げられることも多く、たちまち人気選手になった。その後、憧れの阪神に移籍すると虎の独裁者として芋川軍団を形成、球界を牛耳る魔王と化した。私生活面では謎のドイツ人美女と結婚し、3人の子供をもつよいお父さんである。時雨くんのことはどうでもいいが突っかかってくるのでうっとおしい。

 

やえし 一塁手 左投げ左打ち

日本の四番。打率こそ高くないもののそのパワーは段違いで当たればたいてい長打である。長打力は高いもののチャンスには弱く、最初の甲子園出場時にはチャンスで凡退しまくり、へらった。しかし、キャプテンYR岡、親友ぽてぽての支えもあり見事復活。最後の夏の県予選では甲子園出場を決める逆転アーチを放った。パワーはあるもののその他の指標がいまいちなこともあり、プロでは低評価で下位指名でなんとかジャ〇アンツに入団したものの、前評判通り数年間は結果が出せなかった。首も寒くなっていた6年目のオフに伴侶を得ると、突然覚醒し、その年の本塁打王を獲得した。引退後は伴侶と共にラーメン屋を営んでいるが、伴侶にラーメンを作らせて自分は指示ばかり出しているので年に一回は週刊誌で離婚疑惑がかけられる。時雨くんのことはウザいし、邪魔だと思っている。

 

524 三塁手 右投げ右打ち

チームのムードメーカー兼アイドル枠。守備力が非常に高くキャッチャー以外ならどこでも守ることができる。打撃においてもパンチ力のある打撃を見せ、チャンスにも強い。非常に練習熱心で彼がいたからこそ、サボりマンの多いY高において野球部が成り立っていたと言っても過言ではない。特に、やえしは高校入学時に524と出会い、彼がいたから野球部に入ったと語っている。卒業後は某大学で活躍したのちカーフ◦に入団し、一躍人気選手となった。プロに入ってからもそのムードメーカーぶりは健在で極度の不振に陥っても決してベンチから外されることはなかった。日本代表に選ばれた際もムードメーカー枠で呼んだと監督に言わせるほど。時雨くんも大切なチームのメンバーだと思っている。

 

時雨  右翼手 右投げ左打ち

チームのストレス枠。本当はサードだったのだが無意味にリスキーなプレーをして、エラーを繰り返すので、無意味に強い肩を生かして外野手に転向させられた。高校入学時は右打ちだったがなんかかっちょええ!と言う理由で左打ちになった。真面目にプレーすれば良い選手であることに間違い無いのだが、常にギリギリのプレーをしたがるためエラー、三振、牽制死が多い。実際、二度目の甲子園の際には9回2アウトの場面で、なぜかサインなしで盗塁を強行、失敗してゲームセットとなった。そのためチームの中では彼を疎ましく思うものも少なく無い。高校卒業後はコネで◯ックスに入団したが、練習後に京都橘のJKと交際していることが判明し、謹慎処分をくらった。復帰後はこれまでの遅れを取り戻すかのように活躍を見せたが、調子に乗ってベンチで獺祭を飲む、楽器を持ち込み応援歌を演奏し始めるなど素行を問題視され北海道にトレードされた。ちなみに獺祭に関しては酒造家も顔負けの知識人であり、酒瓶を見るだけでその値段や味について小一時間語り出す。引退後に自身の演奏を収録したCDを販売したが、2枚しか売れなかった。買ったのは弟雨とママ雨である。好きな車はハチロク。自分のことを音楽と野球の二刀流ができる天才だと思いこんでいる。

 

ks 二塁手 右投げ左打ち

YR岡と二遊間を守るためだけにセカンドをしている。YR岡と大学でも二遊間を組もうとするも受験に失敗、某Q大に入り、そこでも野球を続け、のちに芋川と同じ◯ークスに入るがFA宣言して千葉に移籍。再びYR岡と二遊間を組んで満足したのかシーズン終了後安らかに息を引き取った。時雨くんのことは…生々しいのでやめておきます。

 

ぽてぽて 捕手 右投げ右打ち

 

沼。沼なので本来はキャッチャーに向いていないのだがいでゆきの球を唯一全身を使うことで止められると言う理由でキャッチャーに抜擢された。とはいってもキャッチャーの仕事であるリードがてんでダメなのでいつもショートからYR岡がサインを出し、それをみてからゆきビッシュにサインを出していた。打撃は基本的にはあまり得意では無いのだが、時々なぜか集中してヒットが出るため打率は高め。中学、高校と引きこもっていたがYR岡に誘われ野球部に入部した。入部した当初は芋川にイジメられ毎日のように早退していたがジョジョに改善されていった。卒業後は就職や進学はせず、Yばあちゃんの送り迎え、家事をしていたのだが、たまたま親金で酒を飲んでいたところ、飲み屋で出会ったおっさんがスカウトでコネで入団テストを受けたところ見事合格。ファイターズに入団し、先に入団し、伸び悩んでいたゆきビッシュと再びバッテリーを組み、見事日本一になった。プロになってもリードは苦手でゆきビッシュ以外とはバッテリーを組むことができない。引退後は監督でもあった父Y.Hideとともに全国の地酒を飲んで旅している。時雨くんのことはいい飲み仲間だと思っているが、飲み以外では関わりたく無いと思っている。

 

 

いでゆき 投手 右投げ右打ち

 

Y高の絶対エース。七色の変化球を投げるとも言われ、縦横無尽、多種多様なボールを投げる。自分でもどのように変化するかわからないで投げているので、もちろんキャッチャーも取れない。入部当初はショートを守っていたが送球が変化するため、YR岡と交代した。投手転向直後はストレートが投げられず、苦悩していたがY.Hideのアドバイスで一気に開花、最速162キロの剛腕に成長した。通称、山口のメガネッシュ。直球、変化球ともにすばらしい能力を持つもののそれを取れるキャッチャーがおらず、力を発揮できなかったが、ぽてぽての捨て身のキャッチングでなんとか問題は解決。チームを甲子園優勝に導いた。チームのエースではあるもののメンタルが弱く、チームのみんなにいつも心配されている。卒業後はY大に進学し、その後はファイターズにドラフト一位で入団したもののやはりキャッチャーが球を取れない、またコミュニケーションが取れないと言うことで能力を発揮できなかったがぽてぽての加入でその年の最多勝最優秀防御率最多奪三振など賞を総舐めにし、沢村賞を獲得した。なお、その際ぽてぽては一切リードせず、ゆきビッシュの独断で投げていた。その後、メジャーに挑戦し、日本人として初めてサイ・ヤング賞を受賞した。マウンドに異常な執着を見せ、何があってもマウンドを降りないので、ゆきビッシュが投げる日はブルペンは愚かベンチにすらピッチャーは入らず、休みになる。引退後は現役時代に投げる哲学者とまで言われた、その発言集が販売され、大ベストセラーとなった。その中の代表的な一言は「勝つために投げるのでは無い、生きるために投げるのだ」。時雨くんのことは浅はかで愚かでどうしようもないと思っている。

 

 

作品はフィクションです。

実際の人物・団体とは一切関係ありません。